自分にとっての幸せとはなんだろう?


「幸せ」と一口にいっても、その尺度は人それぞれですよね。

 

たとえば、お金はないよりあった方がいい、

友達はいないよりいた方がいい、

長生きはしたいが、寝たきりのままで年をとりたくない等々、

なんとなくぼんやりと「幸せ」の尺度みたいなモノは

皆持っていると思います。

 

仮に「絶対的な幸せ」と「相対的な幸せ」があるとするなら、

たぶん、そのバランスで「幸せ感」があると思うのです。

 

たとえば、趣味、ですね。

個性的な趣味は、本人はハマってものすごく幸せなのですが、

興味のない人にとっては「ワケがわからない!」となるワケですね。

でも本人は別に気にもしません。これが「絶対的な幸せ」ですね。

 

同窓会で昔仲のよかった友人二人と給料の話になったとしましょう。

自分が年収500万円だとして、

いわゆる上場企業に勤めている友人A君は年収1,500万円、

地場企業に努める友人B君は年収300万円だとすると、

A君には敵わない(羨ましい)が、B君よりは恵まれている(まあまあかな)

と思うでしょう。これが「相対的な幸せ」ですね。

 

しかし、年収の多い少ないの話であって

「人生の価値観」については触れていないですよね。

 

さらに話しが弾んで、家族や暮らしぶりをそれぞれ語り始める。

A君は、毎日ハードワークに追われ、休日は接待ゴルフ等で疲れ果てて、家族サービスもままならないとこぼす。

B君は、三世代同居で、毎日家族みんなで食卓を囲んで夕飯をとり、子供の宿題を見てやったり、両親の肩をもんでやったり、たまに温泉に出かけたりと、慎ましやかだが楽しそうな暮らしぶりだ。

 

さて、自分はどうか?A君よりは家族の時間があるので、まあ、幸せかな。

でも、B君の暮らし方もステキだし、あこがれるなぁ、と思ったとしましょう。

これも「相対的な幸せ」かもしれません。

 

A君もB君を「羨ましい」と思ったかもしれません。しかし、職場もあるし家族もいるし、早々簡単にB君のような暮らしはできません。

B君は、A君を「お金を稼いで羨ましい」とは、たぶん思わなかったでしょう。

 

これを「B君は仕事の能力がないので低めの年収で甘んじていて、A君は仕事ができるから高い年収が得られるのだ」と思ったあなたは、たぶんA君派でしょう(笑)。

 

「B君は、家族との生活を大切にするためにあえて今の仕事を選んだのだ」と思ったあなたはB君派でしょう(笑)。

 

中には、A君のように稼いで、B君のように暮らしたい、と思う人もいるでしょう。本人の努力と「働き方改革」の工夫や制度等が充実して、会社も個人も「生産性」が向上すれば可能な話しかも知れませんね。しかし、現状ではなかなか難しいのも事実です。

 

幸せとは、「心の豊かさ」だとよく言われるのですが、自分でも幸せだと思えて、周りの人も「あの人は幸せだね」と思ってくれて、その人もなんだかじんわり幸せを感じてもらえるのが、「幸せのあり方」だと思うのですが、いかがでしょうか?

 

さて、あなたはどんな「幸せな生活」がしたいですか?