父親を、超えられるのだろうか?


 

両親と孫 2011年9月

 

 

三代の 大志大空 初のぼり

 

先月、久しぶりに里帰りをした息子を連れて実家に帰った。

お陰さまで昭和7年生まれのオヤジと

12年生まれのお袋は、元気だ。

 

オヤジは私が社会人になってから、

実家に帰ると開口一番「仕事はどうだ?」が口癖になった。

上手く行っているときも、そうじゃないときも「まあまあやね」と答える。

 

工務店をやっていたオヤジは、引退するまで、

それこそ土日もなく、盆休みも正月休みもそこそこに、

働き詰めだった。

 

おかげで、ほぼ何不自由することなく(特別な贅沢はしてないが)

私と妹は育って来た、と思う。

 

先月、私は53歳の誕生日を迎えた。

もう、この年だから誕生日がどうだこうだと云うこともなく、

家族や近しい人にプレゼントをありがたく頂いて過ごした。

 

50前後くらいからは、誕生日は自分を祝ってもらうと云うより、

両親に感謝しないとなあ、と強く感じるようになった。

少しは、親の苦労と云うものが分かって来たんだろうか。

「生んでくれて、ありがとう」である。

が、まだ実際に伝えた事はない。

 

冒頭の俳句は、20年前息子が生まれた年の節句に作った。

オヤジ、オレ、そして息子。親子三代。

天高く泳ぐ鯉のぼりを仰ぎ見て、それこそ武者震いしたときの思いをそのまま詠んだ。

 

いまは「仕事はあるか?」と云うようになったオヤジ。

オヤジが一代で築いた工務店を継がず、

まったく異業の職についた自分は、いつになったら親孝行ができるんだろうか。

そして、いつかオヤジを超える日は来るのだろうか?

 

来年80を迎えるにしては元気だが、だんだん足腰が弱って行くオヤジを見るに付け、

『早くせにゃいかんバイ』とあせる日々なのである。

 

とうちゃん、かあちゃん、まだまだ元気でおってね!!