レイモンド・カーヴァー その2


「ぼくが電話をかけている場所」

 

平凡な日常のなかの、奇妙な出来事。

 

よくありがちなシーンなのに、ありそうにない事が、

まさにそこで起こっていて、その現場を目撃してるかのような錯覚。

アメリカの片田舎のなんてコトない町での一コマ。

現実に打ちのめされ、這い上がる気力もそぎ落とされ。

絶望、とまではいわなないが、荒涼とした心象風景が広がる。

リアリズムというにはあまりにも残酷である。

 

レイモンド・カーヴァーは、オレゴン州の人口7百人足らずの片田舎に生まれ、

家にトイレもないような極貧の幼少時代を過ごした。

テイーンエイジャーで結婚し子供をつくり、

まさに”食うために”雑多な半端仕事をこなし、

アル中の悲惨な体験もし破産の憂き目にも遭いながら、

短編小説や詩を書き続ける。

 

収入の心配をせずに執筆活動に専念できるように

なったのは、なんと40歳代の後半である。

彼の著作にはそんな、”プア・ホワイト”の、

まさしく現実にありそうな(よく出来たフィクションだが)日常が

まるでロードムービーを見るかのように描き出されている。

 

「ぼくが電話をかけている場所」には8つの短編が収められている。

表題作は、アル中の「僕」が療養所のなかで、

アル中の男たちの些細な日常を語るというもの。

モチーフは、もちろん「電話」。

「僕」が妻やガールフレンドに電話するが、誰も出てくれず、

入所者の妻が面会に来てくれた後、

また気を取り直して妻に電話をかける、

というところで終わっている。

 

ストーリーだけかいつまめば、かなり情けないアル中男の話しだが、

ここにはある一つの「男の人生」が提示されていると思う。

読後のなんとも不思議な感覚はカーヴァーならでは。

やっぱり読んでみないとわからないでしょう。

興味をもった方はぜひ、一読をお勧めします。

さて、次回は「ドストエフスキーが買ったメルセデス」という逸話について。

<つづく>