レイモンド・カーヴァー その1


 

「カーヴァー・カントリー」より

 

 

今日は「レイモンド・カーヴァーその1」と題して、

私のライフスタイルやモノの考え方に、

多大な影響を与えてしまったアメリカの作家について

気ままに語っていくシリーズ企画の第一回目。

 

1983年。昭和58年。

村上春樹訳「僕が電話をかけている場所」を読んだのが、

レイモンド・カーヴァーという、アメリカの希有な作家との出会いだった。

私が28歳のとき。東京ディズニーランドが開園した年。

あまり覚えてないが、結婚する前後になる。

もちろん、当時の(今でも)人気作家村上春樹の影響が大きく、

その直訳的な邦題にも惹かれたのだろう。

「ミニマリズム」と呼ばれた文学手法の旗手、などとは知る由もなく、

面白いのか面白くないのか、よく分からなかった、という記憶しかない。

まあ、正直、村上春樹が訳すんだからいいんじゃないの、というくらい。

 

それが、1988年に50歳の若さで亡くなって、

翌1989年小説新潮の臨時増刊号「アメリカ青春小説特集」のなかで、

夫人のテス・ギャラガーの手記や

「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」で一躍人気作家になった

ジェイ・マキナニーに関連する記事が出たり、

1990年「ユリイカ」での特集号の発行、

1991年村上春樹訳の「レイモンド・カーヴァー全集」の刊行開始など、

なぜか、たて続けにレイモンド・カーヴァーをチェックしている。

 

作品に惚れ込んだのもあるが、

50歳になる少し前に、ようやくその名声を手にした彼の人生そのものに、

男の生き方(決してかっこよくないが)として

共感をもった、ということだろう。

そして、いつのまにか私の”こころのヒーロー”となっていった。

その訳は・・・ (つづく)