エッセンシャルより「こだわらない」生き方?!
振り返ると、人生の2/3は「ゴミ」、
残りの1/3も別の人にとっては「ゴミ」かもしれない、と思う。
というのも、緊急事態宣言のGW中、断捨離三昧で過ごしてみてわかったことは、
いままで「こだわってきたコト・モノ」って実は(今見ると)
大したことがなかったんだな、ということ。
このところ、アフターコロナは、エッセンシャル思考だとか、
エッセンシャルライフだとかいわれているけど、
自己啓発系、メンタルヘルス系のものの考え方には興味ゼロなのでスルーするとしても、
大量の「ゴミ」を捨てるのは結構気持ちいいもので、
エッセンシャル(本質的なもの、必要不可欠)なコト・モノ、という意味合いでは、
今後、私たちの生活態度として浸透していくかもしれない、とも思った。
生活の中で、あるいは人生の時々で
「本当に必要な本質的なものを自分の考えで選ぶ」というライフスタイルは、
私たちの消費行動に大きな影響を与えていくことだろう。
しかし、エッセンシャルなコト・モノって、その時々に変わっていくから、
いつまでも自分をがんじがらめにしておく必要もない、とも思う。
個人的には、ミもフタもないがある意味「こだわらない」生活が、
いちばんしっくりくるな、と。
モノに、こだわる。
仕事に、こだわる。
趣味に、こだわる。
ファッションに、こだわる・・・
その「こだわり」って、何なの??
<余談1>
「こだわる」ってそもそもあんまりいい意味じゃないんだよね。
以下、三省堂「大辞林」第三版の解説より引用
①心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。
気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。 「金に-・る人」
「済んだことにいつまでも-・るな」
②普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。
「ビールの銘柄に-・る」
以下省略
何かにこだわって、まるで「自分は特別なのよ」と自己顕示したり、
大の大人がみっともないではないか(←反省1;汗)。
逆張りで、つまらないことに「こだわる」ことに喜びを見出したり(←反省2;汗)、
しかし、そんなこと興味のない人にとっては「ゴミ」でしかない。
So what??「は?なんそれ??」で終わりである。
ということで、これからは「こだわらない」生き方が、カッコいい!
と思う時代になるかもしれませんね(←コレ、私だけ?!)。
<余談2>
そんなものハナから「エッセンシャル」じゃないのでは?!等と
突っ込まないでくださいね。
そもそも「エッセンシャル」なんてコトバを持ち出さなくても、
日本では江戸時代に松尾芭蕉が「不易流行」といっているではないか。
その「不易」のことを「エッセンシャル」なんていってるだけのような気がするしね。
それはそうと(前置きが長くてすみません、ここからが本題です:笑)、
私たち広告ギョーカイでは、今後アフターコロナのマーケティングは
どうなるだろうかと気を揉んでいるのです。
すでにBtoCのビジネスの現場では、マス・プロダクトから、
スモール・マスプロダクトへ変遷している中、
マス(メディア)広告とデジタル(インターネット)広告を統合するとしても、
その施策や広告投資をどう案配するのか、これからが知恵の絞りどころなんですね。
アフターコロナは、いろんな意味でパラダイムシフトの起点となるでしょう。
私たちの生活も、消費も、ビジネスも、人生の在り方も。。
いままで当たり前だった「常識」は「ゴミ」にしてさっさと捨て去り、
空っぽの状態からチャレンジですね!