遊戯三昧(ゆげざんまい)


先日、JAFの広報誌「JAF Mate」の7月号を眺めていたら、レギュラーページの久保純子さんとの対談で元女子プロテニス選手の杉山愛さんが登場していた。17年に及ぶプロテニス選手としての振り返りやママとなっての育児に対しての心境等を語っていた中で、久保さんが杉山さんに「愛さんの好きな言葉は、“遊戯三昧”でしたね」と何気に聞いていたのに、ビビーッと来たのです。

 

“遊戯三昧”とは仏教のコトバで「仕事でも苦しいことでも、することを楽しむ」という意味だそうです。私のモットーは「上を向いて歩こう!」(坂本九さんの大ヒット曲のタイトルでもありますが)でしたが、ちょっと軽いかな(本当は深い意味があるのですよ)と思っていたので、座右の銘として収まりよくピシャリと来る四字熟語(じゃなくてもいいが)がないだろうか、と常々思っていたのです。

 

なので、「なるへそ!そうやん!!その通り!!!」というワケで遊戯三昧がストンと腑に落ちたのでした。

 

そこでもう少し詳しく知ろうとグーグル先生にお尋ねしたところ、いろんな人が遊戯三昧について書いていました。

 

例えば作家で僧侶の玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう)さん曰く「禅の道場では、洗濯、料理、裁縫といった自分の日常生活に関わることはすべて自分で行います。そのとき、これらを「仕事」と思っていてはいけないんですね。「遊び」にならなきゃだめだ、と。遊びにならなきゃというのは、そのときその場で行うことに最大限没入して楽しみなさい、ということです。これを禅語で遊戯三昧(ゆげざんまい)と言います。むろんそう言われても現実には楽しめることばかりではありませんから、「楽しいことをする」のではなく「することを楽しむ」と発想するんですね」と。

 

合点!「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」。まさしく私が日々探求していることではないか!

 

また、あの今 東光(こん とうこう)大僧正曰く「とにかく人生は遊戯三昧よ、スポーツも恋愛も勉強もな。それに没頭つくして、とことんやれば必ず何かがある。だからそこまで行け!『遊戯三昧』と書いて壁に貼って、オレの教訓だと思ってやんなよ」と。

 

ガハハ~!没頭してとことんやれば必ず何かある!私もデスクの横の壁に貼ってみよう!!

 

まあ理想は、いち日の終わりに、一週間の終わりに、ああ、いい日だった、充実した一週間だった、と思いつつ安らかに眠りにつきたい。しかし、現実にはそんなことはめったになく、悔しくて悔しくて、不安で不安で、なかなか寝付けなかったり眠りが浅かったりする日もある。それは、目指すべきモノがあり、やり遂げねばと思う目標があるからこそ、結果未達だったりすると襲ってくるプレッシャーなのだろう。

 

妥協とも違う、諦めとも違う。ましてや遊びながら仕事することでもない。仕事をとことん楽しむ、チャレンジを楽しむ。日々を楽しむ。苦しいことそのものを楽しむ。ちょっとMっぽい感じもするが、そうするとおのずと成果がついてくる。

 

遊戯三昧とは、ある意味、高みに到達する極意なのでしょうね。

 

まだまだ修行が必要ですな。

 

久坊